ツイキャスで録画された、3月30日のイベント「ナナシのゼロ〜オープンマイク〜」をスマートフォンで流し見ながら、パソコンで記事を書く。
パフォーマンスの合間のMCと出演者や観客の掛け合い中に記事を書き進め、パフォーマンスが始まれば書く手を止めて聞き入っている。
ながら作業で書く記事に背徳感を感じながら、その背徳感を楽しんでいる。
オープンマイクは、誰でもステージに立てる。
そして、何をしても良い。
演奏でも朗読でも舞踊でも演劇でも、何もしなくても近況報告でも宣伝でも。
普段の私は劇場を借りてパフォーマンスをしたり、店を借りてイベントを催したりするようなことをしていない、素人だ。
広く浅く、何処までも知恵のないまま、行き着く先は泥の中の、半端者だ。
そんな私が、長野県で催されるこのオープンマイクイベントには、そこそこ出ている。
毎回、何かしらの「実験」を舞台の上でしている。
それは、「私」の追求の端くれをメモ帳に角から一枚一枚順繰りに貼付けるような行為だ。
未だ、私は「表現者」足り得ていないし、何者にも成っていない。
何か新しいことをしたい気持ちは常にあって、しかし、私の怠け切った根性が硬い地盤にしっかと根を下ろして、その気持ちを私の内に留めさせる。
ただ、私の怠けは怠けることさえ怠けるので、急にがくんと身体が動き出すことがある。
私が見切り発車で動き出すのは、そうした深層心理の働きがあってだと、分析してみる。
そんなチグハグな私が4月13日に松本市のオープンマイク、4月27日に長野市のオープンマイクに出る予定だ。
それぞれ、別の「実験」をする。
ただ、何をするかは、まだぼんやりとしか決まっていない。
13日は、汚れた作業着を着て登壇する、その作業着に何かしたいと考えている。
27日は、「お笑い」をテーマにした漫画の紹介をしたい。
あと、「霊について」の考察を発表したいが、それは急がずに煮詰めたい。
27日で言えば、最近、知り合ったNさんが手伝ってほしいとお願いされている。
どうも、上半身裸になって何かをするらしい。
別に全裸でも構わないのだが、ゲストで出るらしい情報を知ってから、表現者未満の私で良いのか、急な不安が湧き出てくる。
何処かで、もっと知らない人の前で何かする行為をした方が良い気がする。
以前に、閃きを待っていても閃かないと読んだが、1日の内で、何かそれらしい活動を増やすべきか?
簿記の入門書を繰り返し読んでいる行動をしているのに、キャパオーバーに成らないか、別の不安が湧いてくる。
四方八方、不安に囲まれて、布団に包まってしまいたくなる。
いや、実際に、布団に包まって息を潜めている。
何がしたいのだろうか?自分で自分を追い込んで、世話がない。
兎にも角にも、準備だけひこらひこらとしよう。
不安は、その内、何処かへ行く。
私の怠けが、不安な気持ちを怠けさせてくれるだろうから。
スマートフォンの映像をちらりと見ながら、投稿する。
(写真は前回のナナシのゼロの様子)