長野市のネオンホールのオープンマイクに行ってきた。
6月28日のオープンマイクは、いつもと違った。
5月にお亡くなりになった田原宏一さんという方の特集であることが副題として銘打っていた。
集まった方は、田原宏一さんに縁のある方ばかりだった。
オープンマイクで発表する内容も、田原さんとの思い出話や、田原さんに由来することだった。
それぞれの中に、田原宏一さんは息衝いているのだろう。
そこでいくと、私はかなり難しい立ち位置であった。
田原宏一さんとは、はっきりとした親交があった訳ではない。
私にとっての田原宏一さんは、同じ空間にいたことがある、という背景の一部としての存在だった。
田原宏一さんとの思い出が全くない、と言う訳でもない。
しかし、その思い出はどんなに長く話そうとしても、3分も保たないものだ。
その程度の思い出しか、私にはない。
そも、「田原宏一」という名も知らなかった。
ナナシのゼロでの愛称「らんらんさん」と呼ばれていた。
「田原さん」という名前を知ったのは、今年の5月だ。
それほどまでに縁が薄かった相手であるが、今回のオープンマイクに不参加、という選択はなかった。
それは絶対に違う、と感じていた。
悼む、とも悲しい、とも言えないが、私は不参加は絶対に違うと考えていた。
どうしてだろうか、分からない。
田原さんは、私のことをそれほど気に入ってはいなかったように感じる。
私の方も、田原さんに話しかけることは滅多になかった。
どうしてかは、分からない。
ただ、田原宏一という人間が、私の背景から居なくなった事実が、胸に迫る。
これは私の知っている悲しいとは別種であろう。
最も近い言葉で言えば、寂しい、なのかもしれない。
いずれ、その空白に誰かが入るのかもしれないが、寂しい、と感じる。
知っている人にもう会うことができないというのは、寂しいことなのだ。
田原宏一さんは詩集を遺している。
何処かのタイミングで、その詩集を買いたい、とは考える。
私の人生の、ほんの一瞬、確かに同じ空間にいた人の、詩集を買えれば良い。
場違いな気もして、気が引けたオープンマイクであった。
出ない方が正解だったかもしれないオープンマイクであった。
しかし、不参加だけは絶対に違う、と帰りの高速道路で確かめた。
梅雨の時期、もしかしたら、思い出すかもしれない。
思い出さないかもしれない。
嗚呼、思い出したら、ジンジャーエールを買って飲むことにしよう。
人が一人居なくなった、そのことを、書き記す。