2018年9月6日、朝9時、幾つかある懸念の一つが片付いた。
単純に友人との遊びのスケジュールの連絡を済ませただけなのだが、ずっと仕事にかまけてぼけっと流していた。
私の脳の回線の切り替えの遅さは致命傷で、毎回友人には迷惑をかけてしまう。
今書いている記事も幾つかある懸念の一つである。
懸念、と言うより、節目、と言った方が正しいのかもしれない。
当ブログは2018年9月3日にて、丸2周年を迎えた。
2年である、2年の歳月が流れたのである。
桃栗3年柿8年、何か事を成就するまでにそれ相応の年月がかかるとは聞く。
後1年で桃や栗の実がなる所まで来たと考えるか、まだまだ2年しか経っていないと考えるかは個人の自由だろう。
さて、丸2周年を迎えて、当ブログも色々と変えていこう、と考えている。
変えていこう、とやにわに言っても、骨子は同じだ。
況んや、「詰まらないことを延々と書く」当ブログの姿勢は変わらない、と言うことだ。
では、何を変えていくのか、変えたのか、を徒然と書いていく。
小さいこと、些細なことかもしれないが、変化を求める。
即ち、当記事は…
2周年目のはてなブログで小さな変化を求めてみた。
ざっくりと書いていくので、ざっくりと読んでもらえれば。
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目次
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1、無料版から有料版「はてなPro」に変えた。
ある意味で一番の変化であろう、無料版から「はてなPro」へ仕様の変更をした。
2周年と言うことで、節目として返納しよう、とは以前から書いていた。
まずは「はてなPro」の仕様の変更の経緯でも軽く書く。
最初に私は30日間の無料を試そうとした。
しかし、その30日間の無料はコース選択をしてから、コース内のサービスであることが分かった。
つまり意訳すると、「30日間の無料のブログ体験をした後でも、コースは選べるよ?」ではなく、「コースを選択をすると、実質30日間は無料(安くなる)でお得!」ということなのだ。
文言が紛らわしいのだ。
いや、「30日間(30日間とは言っていない)のクーリングオフ期間がありますよ?」の方がより正しいか?
どっちにしても一度支払った金額が戻ってくるのか、大いに疑問ではある。
さて、出端は挫かれたが、コース選択はするつもりでいたから気持ちを改めた。
私は「2年コース」を選択した。
理由は、「おすすめ」と書いてあったからだ。
選択して先に進むと、どうやら支払い(見かじめ料?)が先であるようだ。
運営側の横柄な態度が目に余る。
勿論、私は尻尾を振って追従する。
運営側の傀儡である私は、「はてなポイント」を買うことにした。
理由は、クレジットカードを持っていないことと、現金で支払いたい欲求があることの2つからだ。
「2年コース」は14,400円なのだが、「はてなポイント」はまとめ買いしかできない。
端数でも「はてなポイント」を買えるやり方もあるらしいのだが、調べるのも面倒だった。
取り敢えず、20,000はてなポイントを指定した。
その後、支払いをコンビニ決算にしたら、手数料で250円かかることが書かれていた。
手数料は正直どうでも良いので、ファミリーマートで「Famiポート」をさくさく操作、発行して、レジに向かい、現金20,250円を支払った。
支払いながら、「はてなポイント」が貰えるのは1週間以上かかる、という記事を読んでいたので、気長に待つか、と考えていた。
しかし、支払って2時間後に確認した時には、既に20,000はてなポイントがちゃっかり入っていて、これは運が良かったのか?と拍子抜けした。
その後、「2年コース」を再度選択、変更した。
因みに、登録したのが8月25日で無料期間は8月31日までであった。
無料の意味が最早ない。
次回は2020年8月30日まで、それまでは私は有料ユーザーだ。
2、独自ドメインに変えた。
コース登録して知ったのだが、別段、独自ドメインに変更しなくても良さそうなのだ。
ここはちょっと迷った。
この迷いは、今まで借りていた部屋に愛着が湧いて引っ越せなくなった気持ちに似ている 。
しかし、折角だし変えちゃうか?と深く考えずに変更した。
親切にもドメイン公式登録サービスを提供している「お名前.COM」へのアクセスが果てはブログは用意されていた。
運営の傀儡である私は、ほいほいと「お名前.COM」で登録した。
ドメイン名は「negativehoukou」にした。
当ブログ名「ネガティブ方向にポジティブ!」の「ネガティブ方向」の部分である。
ネガティブを英語表記にしたのは、ノリだ。
後ろのドメインは「.jp」にした。
最初は「.com」にしようと考えていたが、調べると企業向けらしいことが書かれていた。
次に人気なのが「.jp」とあったので、じゃあそれで良いや、と決めた。
他のドメインに比べて割高であったが、気にせず進めた。
色々とサービスを表示されたが、取り敢えず一通り選択した。
何がどう必要なのかさっぱりな時は、金にあかせて丸投げした方が楽だ。
色々と付け加えて、再び、ファミリーマートの「Famiポート」へ。
サクサク操作して、レジで現金5,997円を支払った。
2日で3万弱か…中々に豪遊している。
その後、はてなブログで独特ドメインを運用するにはサブブログ化しなければならないとのことで、「negativehoukou.jp」の前に「www.」を付けた。
変更後、スマートフォンは直ぐに独特ドメインで表示されたが、パソコンではログインができなくなった。
時間がかかる、とは多くの人の弁があり、私もパソコンでのログインはしばらく様子を見ることにした。
私の場合は、パソコンでのログイン、表示ができるようになったのは、翌日の夜だった。
時間で言えば、丸1日かかった。
因みにサブブログにするには「https」への変更が強いられる仕様なのが気になると言えば気になる(どうでも良いと言えば、どうでも良い)。
この記事投稿後は、各SNSでのドメイン変更したことを書き直さなければならない。
…懸念が積もるばかりで偏頭痛が起きそうだ。
とは言え、独自ドメインに無事変更できて一安心したのも、本当だ。
3、ブログのデザインなどを変えた。
「デザインなど」としたのは、何処までがデザインなのかがさっぱりだからだ。
仕様の変更は多々している。
「あれ?前と違うな?」と感じている方が居れば、ちょっと嬉しい。
まず、広告を外した。
とにかく、邪魔で仕方がなかったから。
次いでに当ブログの最初期に貼り付けたまま放置していた「A8.net」の広告バーナーも外した。
キーワードリンクも外した。
外せるなら外してしまおう、の精神だ。
特に何か意味があった訳ではない。
シェアボタンを統一した。
兎に角、ごみごみしていたのをどうにかしたかった。
参考、利用させて頂いたのは、らいちさんの「らいちの秘密基地」2017年8月25日の下記リンクの記事だ。
このシェアボタンを記事下に直ぐ持ってきたかった私はさらにチップさんの「チップの日常」2015年1月10日の記事を参考、利用させて頂いた。
Facebookのシェアボタンでシェア表示がずっとぐるぐる回っているが、利用できない訳ではない(少なくとも私のパソコン上では開けた)ので、このままにする。
記事下に直ぐシェアボタンが来るようにしたら、記事の文字数表記コードが「約2分」スタートで固定されたが、2分なら誤差の範囲だろう、と考えてこれもこのままにする。
それから、「上に戻る」ボタンを設置した。
短文投稿ばかりだから必要ないかもしれないが、長文の時にはぐんっと戻れるのは良い。
参考、利用させて頂いたのは、azanaeruさんの「あざなえるなわのごとし」2015年8月4日の記事だ。
azanaerunawano5to4.hatenablog.com
スマートフォンでも実装しようと試みたが、どうにも表示しないので、諦めた。
画面が小さいから変に押すかもしれないし?と酸っぱいブドウ理論で考える。
今後は、タイトル変更やら検索エンジン最適化?もちょろちょろ弄りたい。
弄ったら、ここに書き加えていく…つもりだ。
4、当ブログの新たな方向性。
当ブログは「詰まらないことを延々と書く」ことを骨子にしている。
その中で「「私」の追求」や「日常の確からしいこと」を綴っている。
骨と筋肉があって当ブログは運営されてきたが、皮はなかった。
即ち、「どういう人に読まれたいのか?」という視点がなかったのである。
私のための私のブログであるから、「読みたければどうぞ?」と傲慢でさえある態度で書いてきた。
骨と筋肉さえあれば問題ないと、皮を投げ捨てて、人にどう映ろうと知ったこったないと書き綴ってきた。
そんな中、最近、人生の100リストを書いた。
完全に思い付きである。
さらっと書いた後、しばらくして、「私は自分のセンスを信じたいのでは?」と考えるようになった。
ずっと自分の感覚が信じられなかった。
間違うこと、失敗することを前提に過ごしてきた。
しかし、100リストを書いたことを自分なりに読み返すと、自分の感覚を信じたい自分が見え隠れするのだ。
すると、このブログの見え方も変わってきた。
つまり、「「私」を追求する」ことや「日常の確からしいこと」を感じる私の感覚を信じたい私がいる、ということだ。
よくブログでは「断捨離をするための記録」であったり、「育児の記録」であったりする。
何のための記録かと問われれば、「私の感覚を信じるための記録」である、と言い換えられる。
ならば、私が読んで欲しい読者とは、「私の感覚をより良くしてくれる人」であり、「私とは違う感覚を提示してくれる人」となる。
何ともエゴに塗れた欲求だが、視点を変えるならば私のブログは、「自分とは違う感覚を知りたい」、「新しい視点を取り込みたい」人に有益なブログであれば良い。
何となく、ハードルが上がった気がする。
自分のエゴで勝手にきりきり舞いになるのはいつものことだが、小さな変化としてはありだろう。
5、散々めく思考の迷路へ。
昔、「私の感性は芋っぽい」と言われたことを思い出す。
本来の私のセンスは洗練されていない、下らないセンスなのだ。
その人の言はきっと正しいと、今でも感じる。
然りとて、自分が信じたいと気付いてしまったのは、運の尽きか。
よく考えれば、そうした感覚を信じようとしていた節はあった。
灯台下暗し、また私は私を見失っていた。
仕事もプライベートも色々と変わってきた。
ブログも3年目へと1歩踏み出している。
この散々めく思考の迷路の出口には、何の実が実るだろうか?
2018年9月6日、懸念を1つづつ潰しながら、先へと進もうか。