ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

518(2019年まであと26日〜)

おかげ横丁にて。


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mixiで「勝手にカウントダウン!」を称してこけしの写真を掲載し始めて、今年で10年になる。

この10年でガラパゴス携帯電話からスマートフォンに替わったり、職を転々としたり、色々あった。

遠出する度に、良い景色に巡り会う度に、こけしたちを並べ撮り続けて現在に至る。

 

はてなブログで超個人思想なぐだぐだの記事を書き始めて、2年だ。

当ブログは「継続する」ことに重点を置いているから、内容はおざなりなのは先刻承知のことだろう。

それでも、毎日何かしら書き続けられたのは、幸せなのかもしれない。

 

私がこれまで生きてきて、意識して継続できたのは、上記の2つだけだ。

根性無しの私がよくぞ続けられている、としみじみ感じる。

私が好きにしていることで、一切無理はしていないから途切れることがなかったのだろう。

 

ただ、継続するだけなら、大したことはないだろう。

例えば、「息を吸って吐いている」のも継続していることと見なしていいはずだ。

そう、誰かに「あなたは何を継続していますか?」と聞かれたら、こう答えて良い。

 

私「私は息を吸って吐いてます」

誰か「毎日、息を吸って吐いているのですか?」

私「はい、寝ている時もご飯を食べている時もしています」

誰か「呼吸を止めようと考えたことは?」

私「ありませんね、自然としていることなので」

誰か「もしかして、心臓も?」

私「はい、心臓も毎日、脈打ってます」

誰か「すごいですね」

私「いやあ、それほどでも;-)」

誰か「呼吸は何時までするつもりで?」

私「寿命が尽きるその時までは続けたいですね」

 

逆に息を止める方が難しいよな、と呼吸することの当然感に当惑する。

「息を吸って吐く」ことなど、大したことない、と百人が百人、同意するだろう。

…いや、「息を吸って吐く」ことも立派な「継続する」ことで良いのではないか?

 

誰でもできて、大したことないことだけれども、きちんと継続し続けている訳だ。

私で言えば、31年間も休まず呼吸をしてきた訳なのだから、「よく31年もの間、呼吸できたね!」と褒められても良いのでは?

多少の運はあるかもしれないが、ここまで継続できたのは、私が「呼吸すること」を選び続けた結果なのだから。

 

継続について書こうとしたら、よく分からない結論に行き着いてしまった。

いや、しかし、なれども、そういうことだろう。

大したことないことでも、継続できたならば、それは賞賛されて然るべきことなのだ。

 

もっと世の中のすべての人を褒めて良い。

生きづらい世の中で息を吸って吐いている、すべての人を讃えよう。

真面目に、息を吸って吐くことを自然にできる、一つの奇跡ではないだろうか?

 

今日も私は息を吸って吐いている。

さあ、褒めて!