おかげ横丁にて。
mixiで「勝手にカウントダウン!」を称してこけしの写真を掲載し始めて、今年で10年になる。
この10年でガラパゴス携帯電話からスマートフォンに替わったり、職を転々としたり、色々あった。
遠出する度に、良い景色に巡り会う度に、こけしたちを並べ撮り続けて現在に至る。
はてなブログで超個人思想なぐだぐだの記事を書き始めて、2年だ。
当ブログは「継続する」ことに重点を置いているから、内容はおざなりなのは先刻承知のことだろう。
それでも、毎日何かしら書き続けられたのは、幸せなのかもしれない。
私がこれまで生きてきて、意識して継続できたのは、上記の2つだけだ。
根性無しの私がよくぞ続けられている、としみじみ感じる。
私が好きにしていることで、一切無理はしていないから途切れることがなかったのだろう。
ただ、継続するだけなら、大したことはないだろう。
例えば、「息を吸って吐いている」のも継続していることと見なしていいはずだ。
そう、誰かに「あなたは何を継続していますか?」と聞かれたら、こう答えて良い。
私「私は息を吸って吐いてます」
誰か「毎日、息を吸って吐いているのですか?」
私「はい、寝ている時もご飯を食べている時もしています」
誰か「呼吸を止めようと考えたことは?」
私「ありませんね、自然としていることなので」
誰か「もしかして、心臓も?」
私「はい、心臓も毎日、脈打ってます」
誰か「すごいですね」
私「いやあ、それほどでも;-)」
誰か「呼吸は何時までするつもりで?」
私「寿命が尽きるその時までは続けたいですね」
逆に息を止める方が難しいよな、と呼吸することの当然感に当惑する。
「息を吸って吐く」ことなど、大したことない、と百人が百人、同意するだろう。
…いや、「息を吸って吐く」ことも立派な「継続する」ことで良いのではないか?
誰でもできて、大したことないことだけれども、きちんと継続し続けている訳だ。
私で言えば、31年間も休まず呼吸をしてきた訳なのだから、「よく31年もの間、呼吸できたね!」と褒められても良いのでは?
多少の運はあるかもしれないが、ここまで継続できたのは、私が「呼吸すること」を選び続けた結果なのだから。
継続について書こうとしたら、よく分からない結論に行き着いてしまった。
いや、しかし、なれども、そういうことだろう。
大したことないことでも、継続できたならば、それは賞賛されて然るべきことなのだ。
もっと世の中のすべての人を褒めて良い。
生きづらい世の中で息を吸って吐いている、すべての人を讃えよう。
真面目に、息を吸って吐くことを自然にできる、一つの奇跡ではないだろうか?
今日も私は息を吸って吐いている。
さあ、褒めて!