或る日の12月の夜、吹雪に遭った。
テニスコートを数百ワットの照明が煌々と照らす中、 轟々と荒ぶる雪が舞っていた。
黄金螺旋を幾つも描きながら渦巻く雪は美しくも容赦なく、 見惚れて歩く私の顔を手酷くなぶった。
私の吐いた息が白く凍り、ゆっくりと夜に溶けて、 または土の上に落ちる頃合いで風が落ち着いた。
雪は弱々しい風に寄り添うように降っていて、私の足下でしずしずと積もっていった。
「冬」を誰かに説明するのにこれほど明確な事象はないだろう、 自販機にあったかい缶コーヒーを買い求める私の顔を雪はそっと撫でていった。
或る日の12月の朝、昨日の雪は道の上で凍っていた。
SNSのタイムライン上には「雪が踏み締める音が響いている」 とそこかしこで綴られていた。
皆、朝から詩人になっているのに可笑しく感じながら、 私の耳にも雪を踏み締める音が届いた。
外に出て、歩いた。
ざくざくと、雪を踏み締めながら歩いた。
私の吐いた息もきっと誰かが踏み締めて、雪と共に朝の空に響いて、または土に還っただろう。
特出すべき事柄は何一つなかったが、書き記したくなったあの日の雪だ。
雪はこれからも降る、来年も再来年も、私が空へ召した、または私が土になった後も。
何一つ特別ではない雪で、凡百な毎日は過ぎ去って、いずれ忘れて消えて無くなる。
ただ、いずれ忘れて消えて無くなるあの渦や響きを、私は綺麗だと感じた。
きらきらとしているように見えた、聞こえた、それが幻の類いだったとしても。
自分の感性がまだ死んでないと縋りたいだけかもしれないが、あの日の雪は私の胸を打ったのだ。
あの日の渦も響きも美しかった、と言える私でいたい。
いずれ忘れて消えて無くなる事柄だったとしても、 良いものは良いと言える私でいたい。
顔が熱く感じるのは羞恥心からだろうが、 美しいものは美しいと言えぬままは堪え難い。
轟々と荒ぶるような、しずしずと降り積もるような、雪の在り方を見習わなければならない。
いずれ私も忘れられて消えて無くなるのだから、雪の在り方は私の人生の指針となろう。
誰か一人でも私の描く渦を、私が発した響きを、綺麗だなと感じてもらえたら良い。
或る日の12月、思い出して書く、雪のこと。