Twitterのコミュニティでまたまた企画を立ち上げました。
コミュニティ内に3枚の写真をまず載せまして、その3枚の写真に関連させて文章を書く、というものだ。
ブログで書くと写真の混入もあるから、写真ありきで作っても良いかな?と企画名もまんま「写真ありきで。」と銘打った。
今回の写真はすべて私の自前だ。
なので、さくっと書いて、さくっと載せよう、と考えていた。
3月12日から今日が22日、丸10日間、書けずにいた。
写真のセレクトを間違えたのかもしれない。
最初の一文に躓き倒した10日間であった。
しかも、書き上がったのは、結構な短文だ。
四苦八苦しながらも書けたので、良しとする。
何事も諦めが肝要だ、と私は嘯く。
当記事のタイトルの感嘆符にすべてを乗せる。
写真から立ち上るイメージを文章にする、難しさよ!
では、下記より本文だ。
自然の中を歩くと、人間は裸のままでは山の中を過ごせないな、と感じる。
シャツに下着をウェアにパンツと服を来て、靴下に靴を履き、手頃な荷物を持つ。
裸のままでは、大小様々な石がある地面で足を傷付け、寒さや虫で肌を荒らし、空腹でへたれこんで、何処にも行けず、ただ無情なまでに時間を浪費する。
サルからクロマニヨン、そしてホモサピエンス、それからどんどんと進化を遂げ、今に至る。
人間は裸のまま厳然な自然の中には居ることさえできない弱さの代わりに、人間の、人間による、人間のための「社会」を創造した。
高層ビルが立ち並ぶ光景は、裸のままの人間を淘汰した結果だ。
ふと、私の影を見る。
影には服も靴も一緒くたにされ、私自身を映し出される。
裸のままでは生きられない人間の影は、裸のままに生きたい、と影が呟いているように見えた。
何時からだろう、裸のままで居られなくなったのは?
何時からだろう、土から、空から、身を離していったのは?
何時からだろう、私はこんなに小さくなってしまったのだろう?
裸のままでは、大小様々な石がある地面で足を傷付け、寒さや虫で肌を荒らし、空腹でへたれこんで、何処にも行けず、ただ無情なまでに時間を浪費する。
それでも、私は裸のままで生きていきたい。
自然の中を歩く、私の脚を支える大地と、私の肌を通り抜ける空気と、私の脳のような遠大な時の中に、私の身体を預けながら___