今、とても困っている。
私の在り方を軌道修正する必要があるかもしれない。
しかし、どう修正すれば良いのか、迷いが生じる。
私は私を大事にしないことで、私は心の平穏を保っている。
私自身を大事にしようと考えるだけで、恐怖で何も手が付かなくなる。
私を粗末に扱える、傷付けても問題ないのは大いに安心なのだ。
傷付けることに過剰に敏感なのかもしれない。
それは自分だけでなく、相手を可能な限り傷付けたくない。
僅かな傷にもまるで致命傷のような深度を感じてしまう。
それが小さな傷である、と誰が言えるのか?
その小さな傷がもしかしたら一生ものの傷かもしれないのに、どう判断すればいい?
私は私自身でさえ、傷の深度を推し量れない。
自分自身でさえ推し量れないのに、他者など未知も未知だ。
だから、昔の私は嫌われた方が良かった。
これ以上相手を傷付けずに済むよう最初から距離を取れるから、安心だった。
最近、相手を傷付けてしまった。
私を粗末に扱ってる最中で、その私の粗末な扱い方に憤怒させてしまった。
諸々終わった後、振り返り、消えてしまいたくなる。
傷は小さいかもしれない。
しかし、間違いなく私は相手を傷付けた。
どうしてこの自我は無用に人を傷付けるのか?
昔の私だったら、兎に角、その相手から距離を取れるだけ取ろう、と考えるだろう。
できればこのまま相手との関係をフェードアウトして終わらせてしまいたい。
過剰なまでの傷付けることへの恐怖と猜疑の怪物は未だに私の根っこで怯えている。
しかし、そうは問屋は卸さない。
少なくとも、私のやりたいことを成すためには、フェードアウトしてはいけない。
相手に許されなくても、留まらなければならない。
困った、打つ手がない。
困った、というしかない。
存在すれば誰かしら、何かしら傷付けるのは分かるけれど、私の今までの在り方で傷付けてしまうのは、どう対処すべきなのか?
私は私自身を大事にはできない。
それをし始めると何もできなくなる。
得策ではない。
そうではなくて、相手にもっと合わせるべきか?
根本的な解決にはならないが、口を閉ざすべきか?
相手の顔はしっかり見てたのだから、合わせられたはずだ。
勘違いしていたのかもしれない。
まともになった、丸くなったと言われて、鵜呑みにし過ぎたのかもしれない。
いや、変わったのは分かるけれど、認識が甘かったかもしれない。
どうしたものか、どうしたものか。
分からないが、考える。
私は私を含めたすべてを可能な限り傷付けずに済む生き方を探したい。
7月、私の内に棲む怪物は、私の心を撫でてざわつかせる。