最近、無料コミュニティについて批判された。
曰く、潤沢な資金もないのに無料で提供するのは無理だ、と。
コワーキングスペースにして有料でするべきだ、と。
今までこうした批判はなかった。
むしろ、今まで無かったのが不思議なくらいだ。
感情の部分では嫌な気持ちになったが、言っていることは正しい。
しかし、それとは別に、きちんと伝えなければならない点がある。
今回の指摘されたことは、至極尤もなことではある。
尤もなことではあるが、私のやりたいことと提案されたことの齟齬がある。
無料コミュニティの運営ではお金にならず、お金がなければ生活はできず、生活ができなければ破綻する。
そうした破綻する可能性が極めて高いことは承知した上で、無料で場を提供することは決めている。
ハイリスクローリターンどころか、超リスクノーリターンでも構わないのだ。
狂気の沙汰、とも書いていたが、指摘した人はどうも私のことを見誤っているところがある。
私は本質として、狂人な部類の人間だ。
全うな人間だったら、そも今の会社を辞めず、働けるだけ働いた方が賢明だ。
また、コワーキングスペースを開きたい訳ではない。
インターネット環境を設備として導入することは良い。
しかし、コワーキングスペースではなく、無料コミュニティにすることが重要なのだ。
有料にする意味として、良からぬ輩を遠ざける意図もある、とあった。
良からぬ輩がいる性で、周りに迷惑がかかる可能性がある。
成る程、それはその通りではあるが、良からぬ輩とは一体何であるか?
タバコや飲酒をするのは良くない。
麻薬や特殊詐欺の現場にされるのは悪い。
そうした人種を遠ざける、という意味であれば、そうかもしれない。
しかし、私の考え方や捉え方と違う食み出した人間を指しているのであれば、それは違う。
不良の溜まり場になったとして、それの何が問題なのだろうか?
価値観の違いはあるだろうが、無料で提供するのだから、集まっても良いのではないか?
例えば、ラブホテル代わりに使われたとしよう。
大変に気まずいことになるだろう。
しかし、気まずくなるが、それだけではないか?
例えば、殴り合いの喧嘩が始まったとしよう。
場合によっては、警察に通報することになるだろう。
しかし、喧嘩はしても良いのではないか?
お金を支払わなければ、モラルを保証できない。
しかし、お金で相手のモラルの担保にするのは、違う。
まず、相手のモラルを信じるところから始めるべきではないのか。
むしろ、私の人生哲学の体現とするこの無料コミュニティはそうした良からぬ輩にもオープンである点が重要なのだ。
価値観が違っても、うっすらと繋がることができる場であることを目指そうとしているのだ。
私の中で、かえってより無料コミュニティにする意義が強まった。
資金を得る方法が何も考えていないから、風呂敷だけ広げている。
昔からそうしてきたので、これからもそう生きる。
何時まで経っても幼い馬鹿な子どもなのは、現実に生きられない故にだろう。
無料コミュニティはやる。
3年は無料コミュニティを維持する。
それだけしか決めていないが、それだけはもう決めた。
夢想するリアリスト、土や葉っぱを食べることになっても無料コミュニティにする。
服がぼろぼろになっても、3年は無料コミュニティを維持する。
誰も来なくても、それだけは、もう決めている。
後で、この文章を読んでもらおう。
きっと、ドン引きするだろうな。
私は狂人なのだ、そこら辺をもっと理解してもらわなければ。
そんなこんなで考えをあらぬ方向へ深めた7日目の夜かな。