不可逆に時間は流れていく。
可逆が可能であるならば、何度でも戻したい。
実際には昨日と今日は明確に違うし、今日と明日も歴然と違うだろう。
そのことが寂しい、とは感じない。
いずれ私は年老いて、朽ち果て、名無し草の朝露になるかもしれない。
そうした幽かなものになれるなら、むしろ嬉しい。
それでも募るのは、後悔か。
あの時にああすれば良かった、こうすれば良かった。
そういう出来もしない後悔が、背中にずっしり積まれていく。
しかし、取り戻せないのだから仕方ないのだ。
ああすれば良かったかもしれないが、今はある。
こうすれば良かったかもしれないが、今がある。
不可逆に時間は流れていく。
昨日とは明確に違う、明日とも歴然と違う、切れ目のない時間が流れいく。
この一瞬に生きなければならない不条理を楽しむこと、それが人生なのかもしれないとふと考える。
益々に秋が深まり、空が高くなり、私はまた諦念する。