まだ早い、というのは分かる。
しかし、どうも脳の片隅で残像のようにちらつく。
今の劇団は、継続するのだろうか?
32年という短い人生ではあるが、継続した活動をするには旗手が必要だ。
先導者、「この活動をしよう!」と声高々に宣言する人がいる。
そうじゃないと、「誰かも言わないから」という理由で終わってしまう。
ボランティア活動をしていた時も、結句、継続しようとする人がいたから継続した。
しかし、私が抜けた後、継続しているかは全く分からない。
やろうとするにはそれなりのエネルギーが必要で、「やろう」という気概まで持って行くのが一苦労なのだ。
デザインの専門学校を卒業した後に、一度だけ同期が集まって個展を開いた。
それは旗手になる人間がいて、正しく仕掛けたからに他ならない。
そしてその一度以降、恐らく個展は開かれていない。
「こうだったら良いのに」、「やりたいことはある」みたいな人は大勢いることだろう。
しかし、「なら、やろう!」というところまではハードルを飛び越えるというより、むしろ断崖絶壁を登らなければならない感覚だろう。
仕掛ける人間と応じる人間がいて初めて何かが動き出すのだ。
私は応じる人間だ。
基本、熱のある人間に引っ張られて、今の自分がいる。
事実、私が演劇をしているのは、誘われたからに他ならない。
同時に私は仕掛ける人間でもある。
厳密に言えば、最初の「やろうよ!」と手を挙げるところまではできる。
仕掛け作りだとか、具体した方向だとか、計画を立てる能力は残念ながらない。
初っ端人を集めて、そこから応じていく、搦め手でいく人間だ。
継続するには仕掛け続けなければならず、そうした仕掛ける人間の素養はない。
もしかしたら、工夫次第でできるかもしれないが、何とも言えない部分でもある。
現在、私が所属している劇団は、「まつもと演劇祭」という場所で発表するために結成された劇団だ。
つまり、「まつもと演劇祭」が終わった段階で、解散するということが現に含まれている。
劇団として継続するのであれば、「まつもと演劇祭」が終わった後、自力で公演を打たなければならない。
気になって調べてみたが、「まつもと演劇祭」が一つの区切りとなって終わっている感がある。
このまま放っておけば、縁がぶつんと切れることになりそうだ。
今の稽古で相当に追い込まれているから、次の劇、と成り難いのは分かる。
しかし、頭の片隅でちらちらとちらつく。
本当に劇団として立ち上がるのだろうか?
機を逃したら、もう立ち上がれなくなるのではないか、そんな不安が漠然とある。
準備だけはしておこう、然るに私は脚本を書くことにする。
今の劇は私の脚本があるからできたのだ。
脚本さえあれば、どうにかなる、ような気がする。
巻き込むなら、なるだけ多くを。
まずは経験を積まねばならない。
役者でも何でも、今から始めてしまう。
活動を継続させる、その困難さをひしひしと感じながら、今日も脳の片隅で揺らめく不安を無視する。