世の中は「誤解」、「類推」、「邪推」、「偏見」で動いている。
Twitterで流れてきた言葉が目に止まる。
世の中は「誤解」、「類推」、「邪推」、「偏見」で動いているらしい。
誤解、謝って解する。
思い込みで、人に聞かずに自分だけで納得してしまう。
訂正されずにいると、何時か恥じをかくことになる。
類推、類いある部分を推して考える。
似たようなもの、似たようなこと、似たような部分を探す。
共通する部分があれば、安心するのか。
邪推、邪な考えで推す。
もしかしたら、悪いことをしているのかもしれないと胡乱な目で見る。
疑い出したら、何もかもが疑わしくて疲れてしまう。
偏見、偏った見方をする。
自分の中の基準と世の中の基準がズレていることに気付かない。
ああ、何度も間違えているのは、私は偏見者だからだろう。
世の中は「誤解」、「類推」、「邪推」、「偏見」で動いている。
そうしたことを意識すれば、正しいことは何もないとなるのか。
動いているのであれば、それで良いように感じてしまうのは、この中でどれに当て嵌まる思考だろうか。
今日も元気に誤解と類推と邪推と偏見をごちゃ混ぜにしながら自分を動かす。