そういうものなのかな、と考える言葉を聞いた。
「速く行きたいなら一人で進め、遠くへ行きたいなら皆で進め」
ここ2年ほどで私の銅製の心臓にも響くような気がする。
ぼっちで過ごすことは極めた。
一人カラオケ、一人しゃぶしゃぶ、一人遊園地、ぼっちで色々と遊べる術を身に付けている。
ぼっちも悪くない、むしろ、そうした生き方の鋳型に嵌め込んできた。
2019年5月30日、私はひょんなことから演劇をやり始めた。
演劇は一人でできる部分もあるが、基本は集団で作り上げるものだ。
今までと勝手が違うので、戸惑いながら進んできた。
歩みはきっと遅くなった。
ぼっちなら周りを鑑みずに進めるだけ進んだ。
しかし、私は見たくなった、まだ見たことない遠い景色を。
遠い景色を見るには、皆と行かなければならないらしい。
そういうものだろうか、とぼっち暦が長い私は困惑する。
困惑していることを色々な人にぽつりぽつりと零して、さっと物陰に隠れて様子を見るを繰り返している。
話によれば、私は変わったようなのだ。
または、そういう時期もある、と言われた。
変人、狂人を経て、ようやく真人間に成れるのだろうか?
いや、狂人を煮詰めているから、より恐ろしい何かに成るのだろう。
むしろ、狂人のまま誰かと進むことに意味があるのかもしれない。
戸惑いと困惑の天秤を片手に、探り探り進む。
遠くの景色はどのような景色だろうか、今は未だ分からない。