7日の昼頃に電話をする。
TwitterでDMを送ってくれた方だ。
どんな話ができるか、今から楽しみだ。
来る者は基本拒まず、去る者は悶々しながら追わない主義だ。
どんなことを考えているのか、相手の主張を聞けるのは楽しい。
顔が見えなくても私は困らない。
しかし、顔が見えない、名前も分からない相手と通話する不思議さを感じる。
私が女性だったら、もっと警戒すべきことかもしれない。
また、私がお年寄りでも、騙されないように気を付けなくてはとなるかもしれない。
ただ、私が女性やお年寄りであっても、普通に通話をしそうではある。
危険な目に遭ったら自分の所為と考えているから。
この「危険な目に遭う」は私個人限定で、他の人には何食わぬ顔で忠言するだろう。
全員が全員善人ではないだろうが、同様に全員が全員悪人ではない。
見極めは慎重にしつつ、時には思い切りも必要だ。
脳のブレーキが壊れている私の言の軽さは一先ず忘れてくれると助かる。
これは相手にも言えることだ。
私がどんな人間か、さっぱり分からない。
脳が一般の方とズレていて、狂人であることを知らずにいる。
相手も怖いはず、善人であるならば、私一人だけではないのだ。
お互いに探り探り、言いたい事を言って、お別れの繰り返す。
仕事場や学校も最初は皆、知らない人だったではないか。
どの程度で通話を許すかはその人の価値観に委ねるが、最初から閉ざしてしまうのも勿体ない、と私などは愚考する。
兎に角、ざっくばらんに楽しむ。