ゆるゆると時間が過ぎていく。
ビールの泡が時間と共に萎むように、ゆるゆると過ぎていく。
温くなってマズくなったビールのような、苦みばかりが過ぎていく。
しかし、そうした時間の中で、その苦みを感じる私を体感する。
そうした苦みを感じている間、確かに私は居るのだろう、と確証のない確信を抱く。
そうしたぼんやりとした中に、私は幸せを見出している。
温くなったビールがあるのは、会話が盛り上がって、飲むのが疎かになったからだろう。
会話に追われていれば、息切れも起こす時もあるが、楽しい場を作ろうと皆が協力する。
息苦しさと苦みの中に、連帯感を見出すのかもしれない。
独り、誰も関わらなければ、そっと洗面台で流してしまう。
最初の一口で十分で、それ以上の苦みを必要としていないから。
ある意味で苦行であり、苦行を遂行する理由が私一人の時にはない。
何が言いたいのか、まとまりがない。
ゆるゆるとした時間では、思考は弾けてきえていく。
余計なものが取り除かれた空間というのは、苦みだけなのかもしれない。
苦みの成分がアルカリ性なのか、どうでも良いことが気になり始める。
またゆるゆると時間が過ぎていく。
苦みばかりが過ぎていく。
ある一時の穏やかで少し面倒な時間を思い浮かべて。