驚いた、わずかに動揺もした。
「前より(性格が)丸くなったよね」と言われた。
待ってくれ、昔の私は尖っていたのか?
所属している劇団のメンバーと雑談している時だ。
私に対する評価で「性格が丸くなった」と言うのだ。
残念ながら、体型のことではない。
私自身は昔も今も変わっていない。
相変わらず意固地だし、普通からは逸脱したままだ。
それなのに「丸くなった」とは是如何に?
そも、丸くなったという評価は、昔は尖っていたことを指す訳だ。
どこがどう尖っていたというのか?
いや、取っ付き難い人間であったのは認めるが、尖ってはいなかったはずだ。
この驚きは、私自身が全く変化に気付いていないのだ。
「私」の自意識の追求をしている身であるにも関わらず、私が私の変化に気付かないなど有り得るのだろうか?
さっぱり分からない、今も昔も私は私のままではないのか?
しかし、複数人に「丸くなった」と言われたのも事実だ。
私の内面の表出が柔和になった可能性があるのかもしれない。
意味が分からないが、受け入れなければならない部分もあるだろう。
または、シンプルに私に慣れた、というのがあるのではないか?
私の灰汁の強い性格に慣れて、ある程度のスルースキルを身に付けたのではないか?
どちらかと言えば、こちらの慣れの方が私にはしっくりくる。
少なくとも「丸くなった」は褒め言葉だ。
柔和になった、と言われれば喜ぶべきかもしれない。
いや、しかし、尖っていないのも脚本を書く者としてどうなのだろうか?
1年、1年で私は「丸くなった」と評されるようになった。
1年、私は何か変わったのだろうか?
気付かない内に私が変わってしまうことに、爪楊枝の先程度の恐怖を覚えてしまう。
細やかながら、しかし、確かな驚きをここに記しておこう。