35年生きていても、自分自身について知らないことは結構ある。
最近になってその知らなかった私に気付く。
演劇活動をしている時の私の性分は、母に似ている。
性格、というより、性分が正確かもしれない。
遺伝的な要素が強く、父か母の性分を子が引き継いだものだ。
性格は違うのに似ている部分がある、DNAの不思議だ。
「性格は違うのに似ている」という点で、私は父に酷似している。
父はせっかちで、私はのんびり屋と性格は全然ちがう。
しかし、自分本位でつい動いてしまうという悪い面はとても似ている。
昔から、私と父は似ていると言われた。
自分中心で考えがちな部分を含め、細かい動作で似ているそうだ。
あの父に酷似しているのは嫌に感じるが、これも血の宿命なのだろう。
逆に私と母は似ている、という話になったことがなかった。
母もどちらかと言えばのんびり屋で、性格的には私は母寄りなのかもしれない。
しかし、改めて私と母が似ているかどうかで考えると、母と似ているところが出なかった。
この3年、私は趣味として演劇活動をしている。
演劇活動をしていると、推しができたりする。
推しの俳優さん、女優さんと関わって情緒が嵐の只中にある小さな笹船の如く揺さ振られる。
そうした私の推しへの反応を客観して考えて、これは母に似ているな、と感じた。
母は昔は郷ひろみ、氷川きよし、さだまさし、今は嵐を推すミーハ ーな人間だ。
私は好きなタレントが出てわーきゃー言う母をミーハーだな、と一歩引いて見ていた。
今も母は一人ひっそり居間で嵐のコンサートライブのDVDを視聴している。
嵐のコンサートまで行くのはキツいみたいだが、一人何度もDVDを見返して楽しんでいる。
私が演劇でわーきゃー言っていている姿と、母が嵐でわーきゃー言う姿は重なる。
また、演劇での作業が予想より増えてそのことを関係者に伝えたら、おだてられて調子に乗って、そのまま増えた作業分を引き受けた。
という話を母に話したら、母も手話サークルの代表をお願いされる時に「あなたしかいないのよ!」とおだてられてついつい代表を引き受けた話をしてくれた。
そして、母はこう言った、「やだやだ、おだてられて引き受けるの、私に似て」。
漫画家やアニメーターなどの創作系は実は女性の方が多い話を思い出す。
創作系である演劇だから、私の母の性分が色濃く出やすいのかもしれない。
ミーハーでおだてに弱い、演劇活動をして見付けた発見だ。
母は「川で拾ってきたのに、どうして似ちゃったのだろうね?」と言った。
私は「川で拾われたのに、どうしてだろうね?」と肩をすくめて答えた。
35年目にして、似ている二人は笑い合った、6月の朝。