森元首相の発言がTwitter上で賛否両論されている。
森元首相が首相であった時ならば、このような現象はなかっただろう。
SNSの発展の良き面が出ている。
私個人の意見としては、森さんの失言癖は仕方ないと割り切ってしまう。
本人の意図しない切り取り方という面もあるだろうが、失言として言われても仕方ない部分はある。
「女性が多いと会議が進まない」というのが引用であるらしいが、言い回しの分かり辛さはあるし、切り取り易い発言でもある。
それでも議員として勤められているのは、やはり確かな手腕があるからだろう。
地元貢献は大きいようだし、親分肌で面倒見が良く、仕事は熱意をもってしっかりとこなす、という情報も目にする。
わざと切り取られる発言をして批判を集中させているのでは、という考察を見た時は、もし批判を集中させることまで考えていたら政治家の凄味を感じてしまう。
出てくる情報が二次情報ではあるが、政治家として仕事をしているのであれば私は文句は無い。
もし仕事もできないのであれば、そのことに文句を言いたい。
失言したと切り取られることで本来の仕事、その仕事が回らないと困る人がいる点が私は重きにしている。
もちろん、批判するな、ということではない。
上に立つ人間には上に立つ人間足る振る舞いを求められるのだろう。
政治家であるならば、国内外の影響もあるので、失言癖があるのはそれだけでマイナスでもあるだろう。
しかし、悪党だから政治家をするな、という理由は違うと感じる。
政治家が先生と言われるのは儲けさせるためであり、それは経済の発展に繋がる。
利権屋だが愛国者だ、という評が私の中で一番しっくりくるものである。
ただ私の一個人の意見である。
政治は必要悪だ、という表現が私の意見に反映されている。
人間の善性を信じる人や、しがらみのない世界を目指している人、差別を許せない人など色々な人がいる世の中で、私のような捻くれた考えは少数だろう。
「悪党でも利益となれば良し」と割り切ってしまう。
「悪党は許せない」、「差別は許せない」というのは一面しか見ていないのではないか、と感じてしまう。
他者と相容れない政治観でもあるので、中々どうして発言し辛い。
私も差別は反対だし、悪党は一掃できればした方が良い。
しかし、それだけが人間ではないだろう、と考えてしまう。
自分が面倒で仕方ないが譲るつもりもない、政治の話は喧嘩の元とは誰が言ったか。
続報がどうなるのか、それを受けた民衆はどう反応するのか、そればかり気になる。