「ドリルを買う人が欲しいのは「穴」だ」とは有名な言葉だろうか。
ドリルを買うのはドリルのデザインではなく、その先の「穴を空ける」行為だ。
どうして「穴」を欲しいのか、は人それぞれ違うだろうが、ドリルの機材そのものを欲しいから買っている訳ではない。
自動車は「中遠距離を移動する」のが目的である。
椅子は「座る」のが目的だ。
デザインは「どうせ買うなら良い見た目の物が良い」となるものだろう。
私のやりたいことは、「安曇野に新しい選択肢を」とちょっと壮大だ。
しかし、安曇野に実際に住んでいる人や、安曇野に移住したい人が望むものとは違うような気がする。
私のやりたいことと、実際のニーズは合わない気がしていた。
しかし、「ニーズを知って、そのニーズに自分のやりたいことを寄せていく」考えを知った。
成る程、現場のニーズに沿って、私のやりたいことを寄せていくのは理に適っている。
とか何とか、分かっているような分かっていないようなことを書いている。
私は「演劇村」を作ろうと考えているが、私のやりたいことでしかなく、他の人は欲しくないだろう。
しかし、何かしらの拠点として私が保有する物件を使って、その次いでに私のやりたい「演劇村」を作れるのではないか?と考えた。
書いてて分かっていない気がしてきた。
何せ、閃きを閃きのまま書いているからダメなのだ。
誰か筋を通す話しにして欲しい、やりたいことはあるのだ。
私にもう少し経営の才能があれば、しょうもなく悩まないのかもしれない。
取り留めもなく、書き記す。