日本国旗の損壊について考えた。
日本国旗損壊罪ができるかもしれない。
日本の国旗を破いたり燃やしたりしたら、罪に問われ、捕まる訳だ。
他の国の国旗はすでにあり、今まで日本の国旗だけ「損壊罪」がなかったようだ。
他の国があるのだから日本だけないのも変な話、というのも分かる気がする。
他の国の国旗は傷付けると法的に問題があるのに、日本の国旗は問題ないというのは整合性がない。
他の国も損壊しても良いとするか、日本の国旗も尊重しようと整合性を持たせたいのだろう。
他方、日本の国旗を損壊することによるアピールであり、「日本国旗損壊罪」は表現の自由の侵害と主張する人たちもいる。
そうした主張も分からなくもない。
訴えたいメッセージや重大なテーマがあって、それを表現するのに日の丸を燃やすのが一番理に適っている場合もあるのだろう。
表現の自由の心配で考えると、「日本国旗損壊罪」が成立すると、日本の国旗を損壊する表現に規制が入ることになる。
当然のことながら、デモ等で日本国旗を燃やせば、警察に捕まることになるだろう。
そうした過激派の動きの抑制には一役買うかもしれないが、問題は「日本の国旗」と見なされる表現にまで言及する人が出てくることではないか。
例えば、白い紙に真ん中に赤い丸を描いたものを破くパフォーマンスがあったとしよう。
厳密に言えば、日本国旗ではないので罪に問われることはない。
しかし、明らかに日本の国旗を模しているものを損壊する行為に「損壊罪で捕まえるべきだ!」と騒ぐ人間が出てくるだろう。
例えば、漫画で日の丸が燃やされる描写があって、「日本の国旗を燃やしている!」と抗議する人もいるだろう。
今もってそうしたことに目を光らせている方々に大義名分を与えるようなもので、少し息苦しさを覚える。
拡大解釈、歪曲、ミスリード、一つの規制は他の表現の規制にそのまま繋がってしまう。
私自身は、日本の国旗を破かれたり、燃やされたりされるとちょっと嫌だな、とは感じる。
しかし、それは「日本の国旗を損壊された」ということより、「他者のフラストレーションの発露」を見せられていると感じるからだ。
日本の国旗自体が損壊されることに不快に感じていない。
罪になるということは、誰かしらが不利益を被った、ということだ。
今まで日本国旗の損壊が罪にならなかったのは、不利益を被る人間がいなかった、と考えても良いのではないか?
日本国旗の損壊による不利益とは、「日本のシンボルを攻撃することによって、日本人の自尊心を傷付ける行為であり、日本人の不利益となる」だろう。
多くの日本人は「日本人」と「日本国旗(シンボル)」と「日本国に住んでいる自分」を別に捉えられているのではないだろうか?
日本国旗を破られたり燃やされても自尊心が傷付くことはなく、大らかにそうした行為を受容していた。
日本国旗が日本国への攻撃、と考える人は少なく、日本の情勢が不安定になるとは思ってもいない。
今まで日本国旗の損壊が罪に問われなかったのは、日本の情勢が安定していたからだ。
しかし、改めて日本国旗の損壊が罪になるというのは、日本の土台が怪しくなっているのかもしれない。
そう考えるとこの規制はとても怖いものに感じる。
ただ、表現の規制と見なしても、そこから工夫すれば良いだけでもある。
前述した、「白い紙の真ん中に赤丸」はそうした工夫であり、むしろ表現者の創造性が問われる。
法で定めた「日本国旗」の尺度から上手にズラせば、幾らでも表現できる。
他国を尊重するのであれば、他国の国旗を大事にするのはとても意味のある。
表現の自由のために他国の国旗を損壊して、他国との関係を悪化させるのは良くない。
また、他国の国旗を損壊する表現も工夫すれば良い。
他国の国旗を大事にするならば、自国の国旗も大事にすべきだろう。
そも、日本の国旗自体が日本の表現であるので、表現を重んじるならば、日本の意匠として国旗を守るべきなのかもしれない。
よって、私の意見は以下の通りになる。
日本国旗損壊罪には賛同、表現の規制には創造性で対抗すべし。
私一個人の意見である。
表現を重んじるならば、他者の表現も重んじるべきだろう。
日本国旗のデザインの言及があっても良いのに、と私は考えた。
規制そのものについてはまた別になるだろう。
また、「罪に問うべきか否か」も分けて考えるべきだ。
今回は「日本国旗の損壊が表現の制限になるのか?」が主だった起点になっている。
以上で終える。