当ブログを書き始めたのは2016年9月頃だ。
現在2023年3月25日である。
あと3年と6ヶ月もすれば10年である。
6年と6ヶ月、そうかもう5年以上は書いているのか。
ふと5年前に書いた記事を思い出す。
タイトルは『5年後の私は1mmも変わらず、全くの別人になっているだろう』だ。
タイトルから尖っている。
よく研いだ黒曜石のように尖っている。
折角、5年の月日が過ぎたのでしげしげと読んでみた。
書いた日付は11月11日、ポッキーの日だ。
まだ初期の記事で初々しさを感じてしまう。
2016年の私は「11月11日はポッキーを買う日だ」と言い、現在に至るまで必ず買って食べている。
妙な拘りは5年経っても変わっていなかった。
そんな私は「5年後の自分」に想いを馳せる。
さて、「5年後の自分へ」となると、どうなのだろうか?
夢とか希望とかを未来の私に託せば良いのだろうか?
それとも、現状とは違う未来に想いを馳せるようなイメージで良いのだろうか?
…考えても、良く分かりかねる。
よく分かっていなかった。
2016年の私はまさか演劇に嵌っているとは知らないだろう。
塞翁が馬、人間何がどうなるか未来を予測などできないのだろう。
人間の細胞は大体、6年で全身の細胞がほぼ変わる、らしい。
つまり、6年経てば今の自分とは細胞の視点からは別人となる訳だ。
とするならば、5年も経過すれば、ほぼ別人と言って良いだろう。
年齢の観点から見ても、5年加算され、今より積み重ねた「何か」があるだろう。
ああ、そうか、6年で全身の細胞は入れ替わる。
6年と6ヶ月、私は2016年と細胞で見れば別人になったのだ。
私の思考は地続きなのに、知らず知らずテセウスの船を完遂していた。
そして、2016年より私は積み重ねた。
顕著なのは人間関係だ。
2016年の私は「友達」を認めなかったが、今は「友達」と素直に言える。
私が周りからどう見られていて、周りから見た私と内面の私の齟齬をどう埋めるのか?が気がかりになっている。
どうも私は、「変わること、変わらないこと」に執着しているようだ。
コンプレックスなのだろうか、「変化すること」に対しての、「変化コンプレックス」
過去を振り返れば、「変わりたい私」がいたことはあった。
しかし、その「変わりたい私」に「変わらない私」は、テコでも動こうとせず、「嗚呼、私は全く変わる気がないんだ」、と絶望したものだ。
なのに、今の私は過去の私と違う人間だ。
「良くなった」、と言うより、「内面を深く追求した結果、己の浅ましさに気付いた」、というべき有様だ。
私の内面の核は変わらなかった。
20代の変わりたいのに変われない私がいる。
変わることを望み、然れど自分が思い描く方向には変われない絶望していた2016年だ。
「変化コンプレックス」を抱えていた2016年の私は、明らかに変わった。
「内面を深く追求した結果、己の浅ましさに気付いた」私は「周りとの関わりで得られる影響で視野が広がった」私へと変わった。
この頃は本当に堂々巡り、何をしても滅入ってしまう。
ずっと、ずっと堂々巡りをしている。
その「堂々巡り」は仕方がないと受け入れて。
そうして、今の私がいる。
私の内面の核は2016年と変わっていない。
私と関わった人たちのお陰で私が嫌いだった部分を直視せずに済むようになったのだ。
今の私の在り方はあの息が詰まる堂々巡りから脱却している。
いや、もしかしたら今も堂々巡りをしているのかもしれない。
しかし、始まりと終わりが曖昧だったいたちごっこは、いつしか明白な線引きができている。
気付いたら脱却していて、何が要因なのか定かではない。
最後に、2016年の私に餞の手紙を書き綴る。
自己満足、自己完結、そういう類の慰めであり、一区切りだ。
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馬鹿な私へ。
私は元気にしている。
無職だよ、私の面倒くさい部分が出たよ。
夢は叶っていない、仕方ないね。
希望はあった、私の絶望も大したことなかった。
覚えているよ、忘るるは言語道断愚の骨頂だよ。
笑えているよ、お陰さまで。
悲しみは抱えているよ、私の大事な悲しみだ。
怒りは相変わらず羽虫の羽音より小さい、怒りとは難しいな?
ああ、楽しめてるよ、今この瞬間も。
甥っ子が産まれたよ、息災だよ誰も彼も。
助けられてばかりで何か救えたとは思えないが、救いの言葉を言えるよう心がけてる。
日本も世界も変わったし、何一つ変わっていない。
馬鹿な私よ、5年経って想像以上に変わったよ。
馬鹿な私よ、私独りだったから変われなかったのだ。
馬鹿で小さな私よ、私の内面の核は変わっていないが、苦い堂々巡りの果てに辿り着いたよ。
馬鹿な私よ、お陰で今も軌道修正しながら生きてくよ。
愚かな私より。
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さて、次の私へ。
(下記はおまけのようなもの)