3月30日、私の36度目の春だ。
ウサギも3周目、60年を一節目と考えると中盤だ。
気付いたら、人生の中盤に驚きを隠せない。
4つ下に妹がいる。
つまり、今年で32歳になるのか。
妹が30代であることに今気付く。
2つ上に姉がいる。
つまり、今年で38歳、何ともう直ぐ38歳だ。
後2年で40歳、初老になるとは露知らずであった。
誕生日を互いに祝う習慣を身に付けずに今に至る。
お陰で我が姉妹は立派なおばさん、おじさんだ。
未だにしょうもない失敗や恥をかいて躓いている現状と無常に過ぎ去っていた現実とのあまりのギャップに切なさと痛みを覚える。
庭を見れば私にとって36度目の白梅が咲いている。
このまま私が歳をとって誰も結婚しなければ、私の代で我が名字は潰えるだろう。
誰も名字を引き継がなかったら、この梅の木も何れ切られる運命かもしれない。
恋愛するのと結婚するのは全くの別物だろう。
楽しくデートができたとして、日常生活に生活ができる担保がなければならない。
私は私一人を生かすのに手一杯でとても結婚に至れるビジョンが見えない。
このまま私の生まれ育った場所が潰えてしまうかもしれない。
祖母が大切に残した土地をみすみす誰かに明け渡す訳にはいかない。
しかし、100年200年同じ土地に我が一族が居続けるかは不明瞭だ。
祖母の十三回忌は去年に終えたから、13年前だ。
『笑っていいとも!』が放送終了したのが2014年3月31日、9年前だ。
志村けん氏が新型コロナウィルスで亡くなったのは2020年3月、3年前だ。
どんどんどんどん過ぎ去っていく。
どんどんどんどん置き去っていく。
どんどんどんどんどんどんどんどん、どんどんどんどんどんどんどん……
こうして感傷に浸っている間も過ぎていく中で、私の最適解は何であろうか?
36歳、人生の中盤、3度目の節目と捉えてみようか。
12歳は小学校から卒業して、24歳は気付いたら通り過ぎていた。
富みに36歳であることが意識される。
私は何者にも成れずに凡夫として生きている。
「私」の自意識を追求してたが、得難い友人を得て良い方向に軌道修正した。
今年、私の節目としよう。
人生序盤の集大成、中盤からの推し勧めていく。
今の方向で良いはずだ、今の生き方を宣言だ。
つまり、「今を楽しむ」土台は十分にできたから、次のステップに行くための年としよう。
そう考えると思考の視点を変えていけるか?
演劇が私の「楽しむ」に影響しているから、ここを起点に考えていくか。
3月30日、今日ここから私の節目の年として過ごしていく。