どうにか残り6万円を稼げたら生活の目処が立つ。
最低でも夏までは何とかなる。
秋からまた丁度良い仕事を探さねばならないが、一息吐けれるのは大きい。
私はかなり甘ったれた人間だ。
実家にパラサイトしていて歳相応な振る舞いをしていない。
石礫を投げつけられても返す言葉もない。
私自身の人間性を見なければ、概ね順調な人生だ。
恥知らず、鈍感であるのは生きる上で必要なのかもしれない。
真正面から私の人生を総括したら「愚かしい」とならざる得ない。
父のつい最近の言葉を思い出す。
「お前の歳には親の面倒を見るのが普通だ。税金対策もできた」。
言われて、親をどうこうなど考えたこともなかったな、と気付く。
自分の人生だけどうにかしたかったから親の面倒など度外視していた。
これだけ親にもたれ掛かっておいて親の処遇は思考の外なのだ。
痛い所を突かれたとは感じない、親の面倒を見るつもりがないからだ。
老人ホームに入ってもらえば良い。
今住んでいる土地から引っ越すならご自由にとも思う。
父には父の人生を生きれば良いので、私が改めて考える必要がどうにも感じない。
「お前には期待しない」とハッキリ言われた。
馬鹿馬鹿しい、と思わず吐き捨てた。
今までの私を見て何を期待できるのか、頭が悪いとしか言えない。
父が私に失望しているように、私も父に失望している。
人間として嫌いなので、早く野垂れ死んでくれないかな、とはよく考える。
中々の親不孝者、人間性が塵である。
ただ、父への感情で変化はあった。
「お前頃の歳に自分はやりたいことはできなかった、稼ぐのに精一杯だった」と。
それを聞いて、何だか可哀想な人間に思えた。
この「可哀想」と感じるのは私にとって厄介だ。
私は父を許さないと決めているので、「可哀想」と感じてしまうのは手心を加えるのと同じだ。
必死に稼いできたのに息子に嫌われている点でも可哀想な人間なのだが、トータルで「それでも早くこの世からご退場して欲しいな」となってはいる。
あと20年ばかしか、姉や妹はどう考えているだろうか?
姉から「家から出て行って」と言われたら、荷物をまとめても良い。
妹に「関わらないで」と言われたら、一生会わないようにする。
そういう覚悟はあるが、父から「家から出て」と言われても馬耳東風だ。
骨の髄まで嫌いだから、論理面ではなく感情面で許せなくなっている。
だから、「可哀想」という感情面の揺らぎは私にとって厄介なのだ。
早く死に晒して欲しい。
一々鬱陶しい。
甘ったれな私は私の人生で手一杯なのだ。
今日も私は不誠実に私の人生を謳う。