2018年10月28日、この記事を書く。
カテゴリーの数が合わないことから調べたら、抜けがあった。
そして、抜けがあることが嫌な性分な私は、ざくざくと書く。
とは言え、何を書こうか、何も考えていない。
こういう時の「お題スロット」を押す。
出てきたお題が「思い出の味」だ。
父方の祖母が鬼籍に入って幾つ月日を巡っただろうか?
心配性な祖母の、細い声を私の脳は正しく覚えているだろうか?
記憶から引き出される声に真剣に向き合う。
祖母の作った野沢菜漬けが恋しい。
他の家庭は知らないが、冬になれば実家の食卓に並ぶ。
今の時期には、水洗いをして漬ける準備をしていた。
塩をまぶした野沢菜を黄色いプラスチック製の桶に隙間無く入れていった。
その桶の上に漬物石を置いて、しばらくすると野沢菜漬けができる。
量を作ろうとすれば大変だが、行程自体はそれほど難しくない。
漬ける時間の長さで微妙に味わいが変わっていった。
私は食卓に出される最初の野沢菜漬けから3週間くらい経った頃合いの物が一番好きな味だった。
最初に出されるのはまだ味が染み込んでないし、あまり長く漬け込んだ物は塩っぱさが気になる。
丁度良い塩梅の塩っぱさになった野沢菜漬けを私はおやつ代わりに食べていた。
口にある程度頬張ると、繊維の強い野沢菜漬けをガムのように何度も何度も噛んで楽しんだ。
あまり口に入れ過ぎると、飲み込むのが大変になるが、気が付けばぱくぱくと食べてしまっていた。
祖母が亡くなってから、最初の野沢菜漬け、母が一人で拵えた物が食卓に出た。
一口食べて、全く別の食べ物が出てきたことに驚いた。
私の好きな、野沢菜漬けではなかった。
作り方は同じはず、なのに、全然違う。
私はもう、祖母の野沢菜漬けが食べられないことを理解した。
もうあの何度も噛み締めた野沢菜漬けは、食べられない。
祖母の野沢菜漬けが恋しい。
もう食べられないと分かっているからこそ、恋しい。
そうしたことを、ざくざくと書く。
抜けがあることが嫌な性分の私は、せめて書き残す。
祖母の野沢菜漬けが私は大好きだった。