毎日記事を書いていると囚われること。
「また同じ言葉を使っているな」
書いている人間が同一なのだから、同じ言葉になるのは致し方ない、のだが。
同じ語り口、同じ切り口、同じ言葉では視野が狭くなりはしないか?
私がどうしても伝えたいことはそれほどなく、結句、同じことをバラバラにして書く。
飽きてしまう、主に私が。
同じ日常は一つとして存在しないのだが、上部は変わらず同じ日常だ。
如何にして違う語り口、違う切り口、違う言葉を紡げは良いのか。
日夜「同じ」に対する格闘の日々だ。
しかし、日常を感じる私は同一で、考える人間も同一だ。
故に9割9分負ける。
たまに自分自身でも会心の出来と感じることを書けるときはあるが、それが残りの1分だろう。
ある意味、この1分のために記事を書いている。
振り返って、似たり寄ったりした記事の中で、きらり、輝きを放つ記事を目指す。
雑多の記事からそうした輝きのある記事は、1分あれば良い。
1000記事以上あるので、1分ならば、10記事か。
当ブログで10記事、きらり輝く記事があるか?
こう考えると途端に自信が失せていくのは、やはり、同じ人間だからだろう。
然りとて、言葉を探さない事由にはならない。
格闘しなければ、己の感性は証明できない。
主に私への証明だ。
毎日記事を書いていると囚われること。
「また同じ言葉を使っているな」
書いている人間が同一なのだから、同じ言葉になるのは致し方ない、のだが、故に闘う意思をぬたり固める。