詩を習作しているのではない。
私の感じる現実というものに「言葉」という型に嵌めようとしているだけだ。
散らかった栄養ドリンクの瓶の中に、開封前の真新しいのを探し当てる。
しかし、過去の型に嵌めて飾った言葉たちを振り返ると、ややこしい言葉遣いになっている。
間違ってはいない、現実はややこしいものだから。
使い過ぎて熱くなっているスマートフォンに、8時間後にアラームを鳴らすよう新たな業務を追加する。
もっと簡易で平易な言葉の組み立てにすれば良いのではないのか?
ほんの3秒前の私が理解できた言葉が、4秒後の私は解読するのに手間取る。
腹一杯になっている屑篭から、力一杯に丸めたA4用紙がぺてんと落ちる。
ややこしい、私は私で居たいだけなのに。
両手をもぎ取られ、両足を切り取られ、背骨を折られ、頭を押さえ付けられて、型にぎゅうぎゅうに詰められる。
シアン色のビニール袋の中身は、休日の半ばに買った3000円のTシャツだ。
誰か私の右手を探してください、私の左目をお貸ししますから。
誰か私の左足を見付けて下さい、私の右耳を使って良いですから。
予言なのか、呪いなのか、昨日買った書籍はきっと埃を被るだろう。
詩を習作しているのではない。
私の感じる現実というものに「言葉」という型に嵌めようとしているだけだ。
何度も使い古された言葉の中に、開封前の真新しいのを探し続ける。
今日もグロテスク、生々しい、けれど虚構の現実から、ぱちり、言葉が古びていく。