「人生の目標」、一体どういうものが人生の目標に相応しいのだろうか。
言葉のイメージでは壮大で、人生を全うするのに必要なもの、のように感じる。
「人生の目標」を見付けるのは途方もない話のようで目眩を覚える人もいるかもしれない。
しかし、難しい話ではない。
「人生の目標」は身近にある。
灯台下暗し、そこら辺を書きまとめてみた。
まずは、言葉の語釈から考える。
「目標」という言葉以外にも似た言葉で表現することがある。
「夢」、「ビジョン」、「目的」、「ゴール」が類する言葉だろう。
似たような言葉であるこれらはどう違うのか。
以前、上記の言葉の解釈の違いについて説明していた情報があり、書き留め用のノートに書き残しておいた。
今回の語釈はその時の解釈の違いをそのまま流用することにする。
夢……こうだったら良いな、素晴らしいなと感じる又は考えられるもの。
ゴール……夢を叶えた、最も現実的な未来。
ビジョン……ゴールの具体的なイメージ像。
目的……「何故、このゴールを設定したのか?」という夢に繋がっている理由。
目標……ゴールに向かうための道筋。
以上を踏まえて、「人生の目標」を考える。
「人生の『目標』」を上記になぞらえると、「人生の『『ゴール』に向かうための道筋』」となる。
更に書き直すと「人生の『『『夢』を叶えた、最も現実的な未来』に向かうための道筋』」であろう。
もっと書き直せば、「人生の『『『こうだったら良いな、素晴らしいなと感じる又は考えられるもの』を叶えた、最も現実的な未来』に向かうための道筋』」となる。
ごちゃごちゃしているが、大事な語釈なので太字にしておく。
次にどうやって見付けるのか、の考え方だ。
端的に言えば、夢を決めて、次にゴールを設定すれば、自ずと人生の目標も見付かるという考え方だ。
人生の夢は、「どんな風な人生を歩みたいか」、「どんな死に方をしたいか」、「どんな人間に成りたいか」などを考える。
この時点ではアイディア出し、つまり、非現実的でも良いし、抽象的でも良い。
兎に角、「こうだったら良いな」というものを出す。
※私の場合は、「私の人生を全うしたい」と決めた。
アイディアを出したら、ビジョン、具体的なイメージ像も作ってみる。
ふわふわしていたものに何かしらの形を与える。
その何かしらの形とは、現実になったとしたらの想像だ。
ここの細部が詳細であるほど良い。
注意として、「最終的には夢は叶える」ことを前提に考える。
現実的に不可能だったしても、そこで思考を止めず、「どうすれば叶えられるのか?」、「夢に最も近い将来にするためには何が必要か?」と考えることが重要だ。
※私の場合は、「私の人生を全うするために、私自身のための人生哲学が必要だ」
ビジョンが固まってきたら、ゴールを設定する。
ゴールを設定する時は目的、夢と繋がっている理由も考える。
「こういう人生を歩むためには、これが必要だ」、「死に方を選べるためには、ここが足りない」、「こういう人間に成るためにはここを努力する」と考える。
※私の場合は、「私自身の人生哲学を考えるために私自身を内面の掘り下げをする」。
この「私の内面の掘り下げ」が「私の人生を全うする」のと繋がっている。
そして、目標、つまりゴールに向かうための道筋を立てる。
すでにビジョンや目的は出ているはずなので、ここは組み立ての問題だ。
「何が必要か?」、「何が足りないか?」「何の努力をするのか?」を考えれば良い。
※私の場合は、「私自身の内面の掘り下げをする」ことがそのまま私の「人生の目標」と成っている。
ここまで、ただただ考えただけだ。
ひたすらに考え、考え、考えて見付けた。
そして、それこそが答えでもある。
人生の目標を見付ける方法は、ひたすらに考える。
この答えには続きがあり、「行動する」ことが伴っている。
「夢」や「ゴール」や「目標」を考え抜いても、行動しなければただの「空想」、「妄想」に過ぎない。
行動が伴わなければ、折角の人生を浪費するはめになる。
それから、行動だけでもあまり良くない。
闇雲に動いたり、間違った方向へ行ったりする場合があるからだ。
考えるより先に動くタイプの人でも、節目節目で立ち止まってしっかと考える必要がある。
結句、考えなければ、人生の目標など見付からない。
逆にいえば、考えて、考えて、考えれば、人生の目標は見付かるだろう。
難解にしているのは、いつだって自分自身だ。
人生の目標を見付けたいなら、考え、考え、考えよう。