9日間、停滞した。
手痛い過ぎ去りし日々だ。
しかし、ちょこちょこ書いていた脚本は書き上げたので良しとしたい。
色々と書きたいことがあるようなないような。
いつものことだが、だぐだぐと埋める。
だぐだぐと埋めた後に、真新しい脚本を当ブログに載せる。
しかし、書き上げて満足は卒業した方が良いのだろうか?
書くこと自体がストレス発散になっている私は、読まれる意識が希薄になりがちだ。
当ブログでは書く事自体が目的なので良いのだが、脚本は上演するというもうワンアクションがある。
上演されずに置かれたままの脚本というのは、物悲しいのではなかろうか?
思えば、このブログでもそこそこの数の脚本がそのままにされている。
しかし、上演するとなれば、私一人の話ではなくなる面もある。
私一人なら、別に脚本がなくても良いのだ。
好き勝手に喋れる場をすでに知っているし、何かを演じたいならそのまま演じれば良いだけだから。
想定しているのは他人の存在、誰かがいなければ脚本など必要ない。
9日間、停滞した。
手痛い過ぎ去りし日々だ。
それに見合うだけの脚本を私は書けたかどうか、だぐだぐと首を捻る。
兎にも角にも、停滞していた分を片付ける。
考えるのは、その後にしよう。