ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

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新しくホテルの清掃の仕事をする。

夜間雇用なので、フロント業務も教えてもらっている。

そこの先輩からパーソナルスペース障害の疑いを指摘された。

 

以前から人との適切な距離感が分からず、接客に苦手意識があった。

先輩曰く、人との距離が近いとのことだ。

確かに割りと近付いて相手との距離を詰めている時がある。

 

思考が細かく区切ってしまう癖も発達障害の特徴で、普通は距離が近いと相手は不快に感じるらしい。

時には攻撃されていると近づかれた相手は考えるらしい。

もしかしたらこれまでに何人かは私が攻撃してきたと感じて怒った人もいたのかもしれない。

 

それで何となく「パーソナルスペース障害」と検索窓に打って調べてみた。

しかし、何と言うか、腑に落ちない。

先輩の見方は外れていないとは感じるが、文章で読むと違和感がある。

 

私の心理として「パーソナルスペース障害」であることを認めたくないのか?

いや、発達障害であるならその方が楽ではある。

実際、距離感が近くなり過ぎて相手に不快にさせているなら改善はしたい。

 

何で納得できないのか、ちょっと考えたら気付いた。

恐らく、今の私は「相手との距離が近過ぎること」に困ってないのだ。

障害とは「困っていること」なのだが、相手との物理的距離で思い悩んでいない。

 

相手との適切な距離が分からず、接客を避けてきた。

友達にも私を批評することを基準にしていた。

昔の私はそうして「相手との距離感」を自分なりに解決していた。

 

真の解決ではなかったかもしれないが、諦める美徳で手放していたから困っていなかった。

私は距離感を掴めずに今の今まで生きてきたが、私の人生は十分に満たされている。

「より良い人間」になるための行動はするが、「パーソナルスペースが近い」のも私であることを受け入れている。

 

「パーソナルスペース障害」と大仰な触れ込みはしない。

「人よりも近くなりやすい」と伝えれば事足りる。

今日まで人に恵まれたのだ、有り難いことに。

 

年老いていくと顕著になるかもしれない。

多かれ少なかれ人は障碍を持っているものだ。

どうやって折り合いをつけるかが大事なのだ。

 

ただ折角の指摘なので拝聴したい。

「より良い人間」には成りたいし、相手の不快を減らせるなら減らしたい。

今の私とは違う私に表面的には成るかもしれない。

 

パーソナルスペースを空ける苦行、楽しみつつ鋭意取り組んでいく。