時間が無限にある訳でない。
だけど、パソコンの前で、はて何を書こうかぼけっとしている時間がある。
そして、ぼけっとしている間に手元でTwitterを見始めてしまう。
コメントがあったら返信しようと考える。
しかし、その返信にどういう返事にしようか時間が取られる。
時間は流れるので、思案している間に書けずに置いてしまう。
結果、中々にコメント放置されたものが私の手元にごろっとある。
時間は後から後から私を追い越していく。
遠くで死神の欠伸が見えても、遠くだから他人事に感じてしまう。
当ブログも書く前にそのTwitterのコメントをしようとする。
そして、Twitterには色々な情報がずらずらと流れる。
お陰で飽きずにずっと眺めて、また私は老いていく。
その誘惑を蹴って、溜まったコメントをえっちらおっちら返信して、時間を見たらあら不思議、2時間ほど過ぎている。
あちゃあ、と額に手をやる仕草をイメージして、今またぽろぽろと書いていく。
時間が有限というのは、のんびり屋には少ししんどい現実だ。
もっと大らかに時間は流れないだろうか?
いや、時間が1日100時間だったとしたら、Twitterを見ている時間は20時間くらいになっているだろう。
あれ、でも、睡眠時間も40時間と仮定しても、40時間はあるか?
やはり時間が超絶増えた方が良い。
そうすれば、もう時間がないなど言わなくて良い。
時をゆっくり流れる能力に目覚めるには、どこの機関に問い合わせれば良いのだろうか?
ロボトミー手術くらい思い切って自分の脳を弄れば幸せだろうか?
失敗しても、現実の辛いこととか忘れられるだろうし。
現実と天秤にかけても良いのか、私の正気は息をしていないのが心配ではある。
時間は有限、さて、そろそろ帰ろうかね。