4月に入ってしこたま長文を綴っている。
本来なら駄文of駄文は意味のない数字とカテゴライズしておく。
しかし、何かしらタイトルを付けて投稿している。
偏に去年の分が完了していないからだ。
過去改編できずに今に至っている。
現状、ナンバリングができない。
実は予約投稿機能を使って4月は投稿している。
4月分は先に投稿して、時間的猶予を稼ごうという魂胆だ。
お陰で今は去年の分は100記事分はある。
しかし、意味のない数字をタイトルに付けられないので、タイトルに苦労する。
一先ず、4月は毎日投稿になるように詰めて投稿していきたい。
この駄文も駄文としてカテゴライズしていきたい。
ふと、そう言えば、もう一つの駄文カテゴリーがあったか。
ああ、それも活用していこう。
来年の4月分の過去を改竄して、1週間先の未来を予約しておく。
過去に未来に現在に、八面六腑の暗躍だ。
自己満足of自己満足だ。
当ブログも駄文の金字塔を組み上げていきたい。
2016年9月からせっせと書いてきた駄文の集積をしている。
言葉の肥溜め、匂い立つ悪臭は私の臓腑の匂いと似ている。
腐敗していくのか肥料となるかは分からないが、駄文は億万の言葉で編むとしても悪文以上の意味にはなりはしない。
しかし、こうして私の中身を曝け出し、床一面に広げ、どす黒く赤く染めてその中に私を見付ける。
当ブログの骨子、私を収める駄文は駄文だからこそ私の生き様を滲ませる。
デッキブラシで擦ってもきっと染み込んで落ちなくなった汚れは、私の影で、私の在り方の一つだ。
今年は去年よりせっせと書けそうだ。
はてなブログのプロ使用を契約した。
2万近くお金をかけて、駄文を書き残そうとする、愉快に憐れな道化のようだ。
駄文of駄文、生産性は皆無、意味など唾棄して久しからず。
ただ、私の形を知るために腹を切り裂いて腸を取り出し、全力で床に投げつけ、足で踏み付け、ごぼごぼと口から零れる血に溺れながら、ああ、私を実感せしめんとす。
私はここに居ると暴れ回る、いずれ風化されて誰の記憶にも残らない未来に抵抗するかのように。
明後日の方向に荒み、嘆き、私はどこへ向かうのだろうか?
3年経てば10年、10年分の集積されたこのブログは、デジタルタトゥーになるかもしれない。
構いやしない、当ブログの延々と続く詰まらないは永遠に残してやる。
この記事は私のプライド、意地、自己への渇望の表れだ。
過去も未来もひっくるめて、誰もためでもなく、自分のために足掻く。
いずれ何者にも成れずに朽ち果てる、憐れな骨はカラスにでもくれてやる。
死を恐れるな、死はいずれ誰にも訪れる。
死を恐れるな、私もいずれ死ぬのだ。
駄文は死だ、私の吐き出す私の形の成り損ないだ。
いいぞ、何を言いたいのかさっぱり分からない。
伝えるつもりがあるのか分からない。
しかし、これ以上ないほどに私は私を記述できている。
これは駄文としておこう。
私を考える一考ではあるが、駄文行きだ。
多面体のその中に、私は居る、私は居る。
4月、筆も軽やかに、桜と人並みを楽しむ。