Twitterをタイムラインをながら見ていたら、「ヘッドラインを深堀りすると良い」なるツイートを見かける。
良いコピー、気になる文章はヘッドラインの言葉の意味を追うと良いらしい。
面白そうなので、やってみることにする。
ヘッドラインを追いかけろ
まず「ヘッドライン」とは、「見出し」のことだ。
「見出し」とは、「見出し (みだし、英語: headline)とは、新聞を始めとする様々な記事、文章において内容の要点を非常に短い言葉にまとめ、本文より大きな字で章(チャプター)や節(セクション)の最初に置かれる言葉。」のことだ。
上部で大きい字で置かれた「ヘッドラインを追いかけろ」がヘッドラインだ。
「ヘッドライン」は、「文章において内容の要点を非常に短い言葉」にしたものだ。
つまり、文章の内容が前提にあるのだ。
では、「文章の内容」とは何を指すのか?
「文章」とは、「幾つかの文を連ねて、まとまった思想を表現したもの。特に、それを文字によって表現したもの」だ。
「内容」とは、「ある形をとるものを満たす事柄・物、または事物・現象を成り立たせている実質」だ。
つまり、「文章の内容」とは、「幾つかの文を連ねて、まとまった思想を表現したものを満たす事柄・物、または事物・現象を成り立たせている実質」のことだ。
書いていて意味が分からなくなる。
もう少し、簡易にしよう。
「文章」とは「思想を文字で表現したもの」で、内容とは「入っている事柄・物か、事物・現象を成り立たせている実質」だ。
「入っている事柄・物」とは、文字を指すだろう。
「ある形をとるもの」とは、紙や電子媒体という入れ物のことであり、そこに入っているものとは「文字」だ。
また、「事物・現象を成り立たせている実質」とは、「思想」だろう。
「文章」を成り立たせているのは、「言葉」であり、その「言葉」を紡いでいるのは「思想」があるからだ。
つまり、「文章の内容」とは、「思想」が根底にある。
では、「思想」とは何か?
「思想」とは、「心に思い浮かんだこと。考え。特に、生活の中に生まれ、その生活・行動を支配する、ものの見方」だ。
ここで「ヘッドライン」まで戻る。
そうすると、「ヘッドライン」とは「心に思い浮かんだこと。考え。特に、生活の中に生まれ、その生活・行動を支配する、ものの見方の要点を非常に短い言葉」にすることだ。
これは容易ではない。
その人がどうしてそういう「思想」に至ったのか、短い言葉にするのは骨が折れる。
しかも「非常に」とある。
「非常に」とは、「極度の表現」だ。
つまり「これ以上短くならない」というくらいに短くすることだ。
必要な言葉のみで構成されている、とも言えるかもしれない。
「思想」の要点を思考するのも難儀なのに、それを過不足無く、必要な言葉のみで構成する、いきなりは難しい。
これを成立させるには、無限の思考の反復と膨大な情報の取捨選択を繰り返すしかできないのではなかろうか?
「ヘッドライン」を追いかけるのは、並大抵では書けないはずだ、本来なら。
Twitterで見かけたから気軽に挑んだが、これは手に負えない。
ここら辺で撤収することにする。
これからもヘッドラインを書く時はあるだろうが、深堀りはしないでおこう。
深堀りをし始めたが最後、地獄の底まで悩まなければならなくなるからだ。
おお、恐ろしい、素人が手に出す代物ではなかった。
皆々様もヘッドラインを書く時はどうかお気を付けて。
今日もヘッドラインの悪魔がてぐすを引いて待っているのだろう。