朝7時過ぎ、仕事に向かう。
顎のネジを弛ませ、がっつりと口を開かし、大欠伸をする。
春うらら、空は瑞々しい青だった。
交差点で赤から青に変わり、のろのろと発進した。
ふと、視線が歩道に吸い寄せられた。
ご婦人が独り、桜を見上げていた。
桜は恐らくご婦人の家の桜だろう、見事な桃色の桜を咲かせていた。
ご婦人の髪は真っ白で、渋柿色した半纏を羽織った、着の身着のままといった風情であった。
ご婦人は真っ直ぐ見上げて、じっと佇んでいた。
3秒も見ていなかっただろう。
しかし、「ああ」と感じた。
「ああ」、と私は感じた。
私の語彙では他に言い様がない、ただ「ああ」と感じた。
悪い意味ではなく、「こういう歳の取り方は素敵だな」という風に考えた。
ただ、その瞬間は「こういう歳の取り方は素敵だな」ではなく、「ああ」がより正確な感情である。
「こういう歳の取り方は素敵だな」というのは後付けである。
私の妄想がご婦人に押し付けた結果である。
何なら、「ご婦人」という表記も私の押し付けである。
その3秒、私は「ああ」と感じた。
得難いものを見れた感覚ではなかろうか、上手く説明ができない。
人生経験が足りないからだろうか、知識が足りないからだろうか、「ああ」としか言えない。
これから、他に言い様がない事象は山ほどあるだろう。
「ああ」、と感じたこの語彙の無さに、私の今の揺らぎが詰められている。
伝わらないだろうが、書き記したくなる瞬間であった。
ある晴れた桜咲く朝に桜を眺めるご婦人を見た、それだけの記事だ。