ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

〇〇を取っ掛かりに考えます。-「私」の追求

謎で奇妙で不可思議な他者と私の在り方の一致のその先へ。

奇妙な一致について。 人との繋がりは不可思議である。 私は私と相容れないことを悟り、「普通」になることを諦めた。 しかし、「普通」になることを諦めてから、共通する点を見出すような人がいることに気付いた。 諦めたから気付いたのか、元から知ってい…

自殺しても良い、心が救われるのであれば。

自殺を取っ掛かりに考える。 Facebookで自殺に対しての意見を求める投稿があった。 十中八九、求められているコメントではないと考えながら、私見を綴った。 ふと、当ブログでも書いてしまおうと、コピペしてきた。

寂しさを飼い馴らせ!

「寂しさ」をとっかかりに考えた。 最近、Twitter上で「寂しさを飼い馴らせ!」とよく使っている。 単純に響きが格好良いから多用しているのだが、「「寂しさを飼い馴らせ!」とはどういうことか?」と質問がきた。 Twitter上でその質問に答えたのだが、勿体…

ポストナルシシズムの一歩を私は踏み出す。

自分の追求の一環として。 私は私が嫌いだ。 「私は私が嫌いだ」と言える私が好きだ。 「「私は私が嫌いだ」と言える私が好きだ」と言ってしまう私が嫌いだ。 と、ぐるぐると考えている状態を諦めているし、楽しんでいる。 と最近になって気付き、「好き」も…

この記事は詰まらないことを延々と書いている記事だ。

うっかり過ごして何時の間に9月27日を迎える。 当ブログを立ち上げたのは2016年9月3日だ。 心を亡くすと書いて「忙しい」とはよく言ったものだ。 徒然と日暮らし、3周年を遠に過ぎ、4年目を呆けた顔で歩いていた。 ピントがずれた毎日で、焦点を合わそうと四…

絶望する女の子に何を伝えれば良いのか、考える。

長文、ネガティブ、そして決意表明だ。

安曇野市全体で自殺者が毎年0.02%いる事実に対して、人間の存在意義における感度の問題として思考しようと決めた。

安曇野市が発行している「広報あずみの」の8月号を手に取る。 特集が「SOSの出し方、見つけ方〜自殺に追い込まれることのない地域を目指して〜」とあった。 なにやら重たいテーマである。 1ページ目、最初の文章は下記の通りだ。 16人が命を絶つ 人の「命」…

三者三様の子どもらの行動に、愛おしさが迸る。

この前の地元の納涼祭でのことでも書こう。 より正確には、地元における私の人物像を書くことになるのか? 具体すれば、私がうだうだしている所にきた子どもらの話だ。

それでも、願わずにはいられない。

2010年に亡くなった祖母の記憶と私の願いについて。

くらべることは変化する「私」をより良い方向に導くための技術だ。

何時からだろうか、日を跨いでも感動しなくなったのは。 今日が昨日に、明日が今日になる瞬間を飽きるくらい経験した今、驚きはない。 しかし、今日4月30日から明日の5月1日は一味違う。 平成から令和に元号が変わるのだ。 日を跨いだ瞬間に元号が変わるのか…

1000記事目を1万文字で綴ってみた。

1000記事目を1万文字で綴ってみた。 本文は下記より。

私が「普通」になれない絶望に感謝を。

最初に。 この記事は私の心情の吐露である。 私自身が決め付けている、私の本質を考えている。 今日の朝までは気分は上々で、上向きであった。 しかし、今は後ろ向きに全力だ。 故に暗鬱とした言葉ばかりなので、そうした暗鬱な言葉に捕らわれ易い人は回れ右…

身丈にあった不便を許容すれば社会全体が良くなるはずです。 

「弱者」を取っ掛かりに考えていた。 「身体が液体説」を考察した時に、不便について言及した。 ふと、「不便」について見解した記憶がふんわりと思い出した。 今後の「私」の境目の追求に必要かもしれない、と過去の各SNSでの投稿を漁った。 すると、2011年…

身体の境目の発明は、不便さから生まれた。

「身体が液体」とする感覚を前提に考察した「私」の境目に関わるトンデモ記事だ。

鏡に映る姿は、私と「私」との距離を表している。

見えている「私」を取っ掛かりに考える。 道の真ん中に点々と田んぼの泥土が溺れ落ちている。 日に晒されて白くなったその土の上を、幾つもの自動車が通り過ぎる。 田んぼを見れば水を引き入れており、その水面に見事な鏡として、空と雲と山を写している。 …

もっとネガティブでいこうよ!

当ブログは、ネガティブ方向にポジティブだ。 後ろ向きに全力を傾けている。 私自身に対して、認識の深堀りに注力している。 そのブログをその時々の気分によって、検索することがある。 「ネガティブ方向にポジティブ」と当ブログの名前を検索窓に軽快に打…

「私」に「名前」は要らない。

「名前」と「私」の関係を取っ掛かりに考える。 帰路の途中で立ち止まる。 長い旅路になるのは、もう分かっている。 月でも眺めながら、のんびり休むことにする。 休みながら、頭は想像する。 「私」とは一体、何なのか? 記憶するのにあるシステムの一部な…

霊は、現世に「生きた証」を留めようとするものである。

霊を取っ掛かりに考える。 長文のため、「目次」と「続きを読む」の機能を使用する、当ブログでは初めてだ。 記事を読まなくても、結論がタイトルに書かれているから、「そうなんだな」と流してもらっても良い。 どうして、そうした思考に行き着いたかは、本…

暗闇は、都合良く、自分本位な私を隠す。

暗闇を取っ掛かりに考える。 1月12日の夜更けに、私はオープンマイクのイベントに参加していた。 誰でもステージの上で好きにパフォーマンスができるオープンマイクは、様々な背景の人たちが参加する。 「ステージに上がりたい人は挙手で」と主催者の方が声…

「朝」は朝であり、朝でしかない。

世界の見え方を取っ掛かりに考える。 以前、「美しい、綺麗な」文章を私が書いていると、幾人かに言われたことを記事にした(下記リンク参照)。 uenokoeda.hatenablog.com それらのやり取りの中で、私自身が、どう世界を捉えて、見ているのか?の視点につい…

悲しいと言う人に、ただ、寄り添えられる人でありたい。

もうすぐ日が明ける、午前4時、ゆったりとコーラを飲む。 よく寝たので、眠気はなく、頭は冴えている。 ウオオと熱気を発している石油ストーブの音が静かに部屋に木霊する。 ふと、ある考えに囚われる。 私の悲しみや辛さは、どうしたら良いのだろうか? 反…

「頑張る」のは、私には似合わない。

頑張るのが嫌いだ。 いや、「頑張る」のが嫌いではない。 整合性がないことを言っている。 実に、私らしい。 「嫌い」という表現がしっくりこないのだろう。 安物のスーツの試着で、身長で選ぶと上着が突っ張って破けそうになるから、サイズを大きくすると、…

これは、「私」の境目の補足である。

前回のコメントを取っ掛かりに考える。 「私」の境目について、私見を書いたところ、コメントを頂いた。 uenokoeda.hatenablog.com 気合いを入れて書いた記事だけに、大変嬉しい。 卵を割ったら、黄身が二つ入っていたような、嬉しさだ。 さて、返事を書こう…

「私」の境目は、「私」を見付けた瞬間だ。

「私」の境目を取っ掛かりに考えます。 uenokoeda.hatenablog.com (上記リンクは、当記事の補足記事だ) 眠い眠いとうわ言しか言わない、野晒しで朽ち果てた新聞紙のような私。 今日も今日とて、眠い眠いと独り言。 最近は、本当にそれしか言わないから、記…

思考実験「ヒトの言葉を喋る猿」

身体から自然と発せられる熱で寝付けない。 暑いなとゴロゴロしていて、ふと急に、7月のナナシの0のことを思い出した。 uenokoeda.hatenablog.com あの日に比べれば、それほどでもないな、と天井を見つめる。 ナナシノ0では、確か私が普段考えていることをま…

自分嫌いのナルシスト-自己否定の完全証明-

ナルシストと言われたことを取っ掛かりに考えます。 不安を取っ掛かりに書いた記事は、一つ確からしい標榜になった。 求道する先に、太陽が地平線から覗かせているような、明日の希望がある。 これで忠言をして頂いた方たちに面目が立ち、一安心…とならない…

「私」を規定する思考は、私を大事にするためだ。

不安を取っ掛かりに考えます。 エゴイストで偏執狂な私が、また懲りずに内面について書き連ねる。 「私」を連呼して、同じ問答を繰り返し、一歩進んで二歩下がること幾早々。 「私」に執着したために、内面深くにある、痛みを伴う何かを消耗している。 それ…

「あなた」とは「私」を唯一無二と承認するためにある概念だ。

「あなた」を取っ掛かりに考えます。 「私」について思考する30歳独身童貞。 結婚できない奴にはそれなりの理由がある、と言いますが、私の場合は間違いなくこの拗れ過ぎた性格だからだろう。 「まだ若いんだから、大丈夫」は偏屈な私には当てはまらない。 …

犬の思考する「私」と人間の思考する「私」は別種だ。

犬は「私」について思考するだろうか? 私は、「私」について思考しています。 「私」の追求が無能な私の生き方です。 下記のリンクは私が今までした「私」の追求の考察です。 uenokoeda.hatenablog.com uenokoeda.hatenablog.com uenokoeda.hatenablog.com …

私は人肉として食べられても良い。

カニバリズムを取っ掛かりに考えます。 人間を食べてはいけないのだろうか?が最近考えることです。 私自身が食べたいという要求がある訳ではないのですけど。 単純に美味しいのかな?と気にはなります。 もし身近の誰かが読んだら、危険思想だなんだと実生…